この名物が誕生した背景には、幕末の薩摩藩主・島津斉彬の卓抜した先見性があった。高温多湿な薩摩の夏において、獲れたての魚は瞬く間に鮮度を失う。斉彬公は領民の貴重なタンパク源を無駄にしないため、琉球の魚料理に着目し、油で揚げることで保存性を飛躍的に高める加工技術の導入を奨励した。
さらに、斉彬公が進めた近代化政策と地元の食文化が融合し、すり身に豆腐を混ぜて食感を軽くする工夫や、地酒を加えて腐敗を防ぎつつ照りを出す技法が定着していった。藩をあげた産業育成と人々の知恵が結実した保存技術は、やがて時代を超えて愛される郷土の宝となったのだ。