なぜバカンティ博士らは、数ある人体の部位の中からあえて「耳」を選んだのでしょうか。そこには、形成外科分野が長年抱えていた極めて切実な医療課題がありました。
生まれつき耳介が小さかったり完全に欠損していたりする先天性疾患「小耳症(しょうじしょう)」は、数千人に1人の割合で発生します。また、火傷や交通事故、腫瘍切除によって耳を失う患者も少なくありません。
人間の耳介は非常に薄く、複雑な軟骨の起伏で構成されています。従来の再建手術では、患者自身の胸から肋軟骨(ろくなんこつ)を削り取り、医師が手作業で耳の形に彫刻して皮膚の下に埋め込む手法が主流でした。しかし、この方法は患者の胸部に強い痛みと傷跡を残す上、子どもにとっては身体的負担が極めて重いというデメリットがありました。
「本人の肋軟骨を傷つけることなく、あらかじめ培養した本物の軟骨組織を移植できないか」——チャールズ・バカンティらが目指したのは、まさに小耳症の患者へ向けた負担の少ない耳介再建の道筋だったのです。耳という複雑な立体構造物を組織工学で再現できると証明することは、再生医療全体の大きなブレイクスルーを意味していました。