一般の観光客が抱きがちな最大の誤解は、「北条高時がこの小さな洞穴(やぐら)の中で腹を切った」というイメージです。
鎌倉市教育委員会が1970年代から1990年代にかけて実施した東勝寺跡の発掘調査では、谷戸の平坦面から大規模な寺院伽藍の礎石建物跡、陶磁器、大量の炭化物・焼土が検出されました。発掘された遺物や地層データは、東勝寺の広大な本堂や方丈が一挙に炎上した事実を生々しく物語っています。
鎌倉独特の「やぐら」とは、山肌に横穴を掘って火葬骨を納めたり供養塔を安置したりする中世武士の墳墓・祭祀空間です。数百人規模の武士団が同時に身を寄せるスペースはやぐら内部には存在しません。高時をはじめとする主脳部は、東勝寺の仏前あるいは客殿で覚悟の自刃を遂げ、寺院もろとも灰燼に帰したと考えられます。
戦乱が収まった後、足利尊氏らは北条一族の怨霊を鎮めるため、東勝寺を再建するとともに円覚寺や宝戒寺を建立。現在残る腹切りやぐらは、壮絶な死を遂げた一族の菩提を永遠に弔うために山腹へ刻まれた祈りの空間というのが考古学・歴史学上の正確な位置づけです。