『島人ぬ宝』の誕生は、2002年5月22日のシングルリリースに先立つ、沖縄本土復帰30周年の節目に向けた楽曲制作が起点となっています。当時、すでに全国区の人気バンドとして確固たる地位を築いていたBEGINでしたが、ボーカルで作詞作曲の中心的役割を担う比嘉栄昇氏は、重大なプレッシャーと創作上の壁に直面していました。
当時、沖縄を代表して「島の心を歌う」ことを求められるプレッシャーの中で、比嘉氏は「自分自身、島の歴史やエイサーの伝統、動植物の名前などを本当に理解し尽くしているのだろうか」という自問自答に陥っていたと、当時のテレビ特番インタビューや手記で明かしています。島を出て東京でプロとして活動してきたからこそ生じる、「本物の島人としての資格」に対する気後れでした。
その苦悩を打破するきっかけとなったのが、生まれ故郷である石垣島の母校・石垣市立石垣第二中学校の後輩たちへ向けたアプローチでした。比嘉氏は自ら中学校に足を運び、生徒たちに「島に対する素直な思いを書いてほしい」とノートを託しました。集まった言葉の中には、美化された観光地の風景ではなく、「海が青いことしか知らない」「星の名前は分からないけれど見上げるのが好き」といった、子どもたちの嘘偽りのない日常の感覚が溢れていました。
生徒たちが綴った等身大の言葉に触れた比嘉氏は、「知らないことを恥じる必要はない。分からないけれど愛している、という気持ちこそが本物の島の心だ」と直感を抱き、それらのフレーズを一編の詩へとまとめ上げました。クレジットの作詞が「BEGIN」名義となっている背景には、石垣島の後輩中学生たちとの共同制作であるという深い敬意が込められています。