ネット上の考察やSNSの投稿において、『幸せ』の主人公は「見返りを求めずに相手の幸せを願う聖母のような女性」として語られるケースが散見されます。しかし、この解釈は楽曲が孕む本質的なドラマを見落としている可能性があります。
歌詞を精読すると、主人公の感情は決して純粋な自己犠牲だけではありません。「私を見てほしい」「私を選んでほしい」という猛烈なエゴイズムと執着が心の底に渦巻いているからこそ、「幸せしか願っていない」という言葉が痛々しい呪文のように機能しています。
心理学における「認知的不協和(自身の本音と現実の行動の矛盾)」の観点から見ると、主人公は「彼が好きだが、彼には好きな人がいる」という不都合な現実を受け止めるために、「私は最初から彼の幸せを応援するサポーターだった」と記憶や目的を再定義しようとしています。この歪みと痛々しさこそが清水依与吏の真骨頂であり、単なる「いい人」では終わらない人間の業(ごう)を描き出している点を見誤ってはなりません。