2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の激震が東日本を襲った瞬間、小沢一郎氏は国会近くの赤坂議員宿舎および自身の個人事務所に滞在していました。激震直後、テレビ各局が岩手県沿岸部の壊滅的な津波被害を報じ始めると、党内外から小沢氏の動静に注目が集まりました。しかし、与野党幹部が連日カメラの前に立ちテレビ出演を重ねるなか、小沢氏は公の場に一切姿を現しませんでした。
この沈黙に対し、週刊誌や大手メディア、さらにはインターネット掲示板などを中心に「地元が壊滅的被害を受けているのに逃亡したのか」「小沢一郎は震災当時どこにいたのか」といった激しい批判の声が巻き起こりました。折しも小沢氏は、資金管理団体をめぐる「陸山会事件」で強制起訴され、民主党の党員資格停止処分を受けた直後という極めて微妙な立場に置かれていました。
しかし、実際の小沢氏は事務所に缶詰めとなり、全国の支援企業や地方議員、独自のロジスティクス網をフル稼働させていました。通信網が寸断され、行政機能が麻痺していた岩手県の被災現場に向けて、即座に実効性のある物資調達体制を立ち上げていたのです。