一休宗純の生涯は、まさに常識の破壊だった。当時の日本仏教界、とりわけ五山十刹を中心とする禅宗の高僧たちは、幕府と癒着して富をむさぼり、形骸化した儀式に明け暮れていた。一休はそうした偽善に激しい怒りを抱く。
彼は朱塗りの鞘に木刀を差し、人通りの多い京都の街を闊歩した。「外見ばかり立派で中身のない今の僧侶は、この木刀と同じだ。人を切ることもできず、何の役にも立たない」と世間に見せつけるためである。さらに、正月には髑髏(どくろ)を竹の杖の先に掲げ、「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」と歌いながら練り歩いた。死を見つめてこそ今を生きられるという、彼なりの強烈な説法だった。
奇行はそれだけに留まらない。臨済宗の僧でありながら公然と酒を飲み、魚や肉を食らい、遊郭に足繁く通った。当時の僧侶たちも裏では戒律を破っていたが、一休は違った。隠れて悪事を行う輩を軽蔑し、己の煩悩を堂々と白日の下に晒したのだ。「自分は生身の男であり、嘘をついてまで聖人ぶる気はない」――。その痛烈なアティチュードは、堕落した仏教界の急所を容赦なく刺し貫いた。