あいりん地区の歴史は、明治時代末期に大阪市中心部のスラム整理に伴い、木賃宿(格安の簡易宿泊施設)が現在の西成区萩之茶屋周辺に移転してきたことに始まります。高度経済成長期を迎えると、日本中の建設現場や港湾作業へ人手を送り出す「日雇い労働市場」として急速に拡大。最盛期には全国から仕事を求める単身男性が集まり、活気に満ちあふれました。
一方で、劣悪な労働環境や労働者と警察・暴力団との摩擦を背景に、過去に24回に及ぶ大規模な暴動が発生した歴史を持ちます。暴動の理由は主に、警察官の汚職疑惑や暴力団による中間搾取、日雇い労働者の人権無視に対する不満の爆発でした。街の中心にある三角公園(萩之茶屋南公園)は、そうした労働運動の拠点であり、炊き出しや越冬闘争、夏祭りなどのコミュニティ活動が行われる象徴的な空間として機能してきたのです。
バブル崩壊以降は建設需要の激減により職を失う労働者が急増し、ホームレス問題や高齢化が深刻化。これを受けて行政やNPO法人が福祉支援に乗り出し、街の構造を大きく変える契機となりました。