言葉の領域でこの時代を力強く牽引したのが、井原西鶴と松尾芭蕉という対照的な二人の異才だ。
西鶴は『好色一代男』や『日本永代蔵』を通じ、人間の生々しい金銭欲や愛憎、商人の知恵と窮地を軽妙かつリアルに描いた。「人間なんて、しょせんこんなものさ」という冷徹でいてどこか温かい観察眼。そこには建前ばかりの武士道に対する皮肉と、それでも泥臭く生きる人々への愛着が満ちていた。
一方で芭蕉は、静寂と漂泊の中に身を置き、『奥の細道』で俳諧を芸術の領域へ高めた。五・七・五という極限まで削ぎ落とされた言葉に、自然の無常と人間の孤立を封じ込める「わび・さび」の美学。欲望を貪欲に肯定する西鶴と、極限まで削ぎ落とす芭蕉。一見すると両極端なふたつの表現が同時に咲き誇ったことこそ、この時代の懐の深さを示している。