島原観光の中心に座す島原城。五層の天守閣と壮麗な石垣が連なる名城だが、その建設には過酷な歴史の真相が横たわっている。元和4年(1618年)、大和五条から入封した松倉重政が着工し、およそ7年の歳月を費やして完成させた。しかし、4万石程度の小大名であった松倉氏にとって、10万石の大名に匹敵する威容を誇る城郭の築造は、領民に対する殺人的な過重労働と重税を強いるものであった。
当時の一次記録や代々伝わる手記にも、厳しい年貢の取り立てと、キリシタンに対する苛烈な拷問の実態が生々しく記録されている。これが寛永14年(1637年)に勃発した「島原・天草一揆(島原の乱)」の直接的な引き金となった。一揆軍の指導者として担ぎ上げられた天草四郎(益田四郎)を中心に、数万の農民と信徒が廃城となっていた南島原の原城に立てこもり、幕府軍12万人余りを相手に壮絶な籠城戦を展開した結末は、日本史における最大の宗教的・民衆的蜂起として今も語り継がれている。
乱の鎮圧後、松倉勝家は失政の責任を問われ、江戸幕府下で異例となる大名としての斬首刑に処された。現在の島原城は昭和39年(1964年)に外観復元されたものだが、2026年の築城400年記念事業を契機に、2026年現在では最新のデジタルプロジェクションやVR技術を活用した歴史教育展示が拡充。単なる美談に終わらせず、領民の犠牲や武士階級の権力闘争といった影の側面まで余すところなく学べる展示構成が、歴史愛好家から極めて高い評価を得ている。