1996年10月、新制度下で行われた第41回総選挙で、新進党は156議席と改選前を割り込む敗北を喫します。自民党が単独過半数に迫る復調を見せる中、党内の不満は一気に爆発しました。
まず羽田孜氏や奥田敬和氏らが離党し「太陽党」を結成。細川護煕氏も離党するなど幹部の流出が相次ぎます。そして迎えた1997年12月、小沢一郎党首が再選を果たした直後、誰もが予期せぬ結末が訪れました。
小沢氏は「執行部に従わない勢力とは一緒にやれない」として、突如として党の解党・分党を宣言したのです。決定的な解党理由は主に以下の4点に集約されます。
・指導部と反主流派の対立:小沢氏の剛腕なトップダウン統治に対する反発と不信感。
・選挙敗北と焦燥感:総選挙で政権奪取に失敗し、野党第一党としての求心力が低下。
・公明党票を巡る疑心暗鬼:選挙で公明票の恩恵を受けた議員と、学会依存を嫌う議員の深刻な分断。
・政策の不一致:消費税率の引き下げ方針や安全保障法制を巡り、党内コンセンサスが完全に崩壊。
1997年12月31日、新進党は正式に解党手続きを終え、日本の政界再編史において最も野心的だった試みは終幕を迎えました。