米津玄師の昔と現在を完全解剖!ハチ時代の苦悩と知られざる素顔の全貌を詳しくリサーチ! 読者が気になる 情報と解説を分かりやすく展開します。

米津玄師という唯一無二の存在を理解するうえで欠かせないのが、徳島時代に育まれた原体験です。1991年に徳島県徳島市で生まれた彼は、「米津玄師(よねづ けんし)」という珍しい本名を持っています。当時のインタビューで本人が語った回想によると、幼少期に負った唇の大きな怪我によって「自分は周囲と違う異質な存在なのではないか」という強い違和感を抱き、家庭内や学校生活でもどこか孤立した感覚を拭えずに過ごしていたといいます。

その疎外感を埋めるように没頭したのが、絵画と音楽でした。学生時代、小学高学年でインターネットに触れ、FLASHアニメやBUMP OF CHICKENの楽曲に衝撃を受けた米津は、中学・高校生になると同級生らとバンド時代(「late rabbit edda」など)を経験します。自ら作詞作曲を手がけて地元ライブハウスのステージに立ちましたが、バンドメンバーとの音楽的ビジョンのズレやコミュニケーションの壁に直面し、活動休止を余儀なくされました。

高校卒業後、大阪の美術系専門学校へ進学したものの、自らの表現したい世界との乖離から1年足らずで中退。四畳半のアパートに籠もり、パソコン1台で孤独に音を紡ぎ出す道を選びます。これが、2009年に始まるニコニコ動画での「ハチ」としての覚醒へとつながっていきました。

当時、初音ミクやMegpoid(GUMI)を用いた『結ンデ開イテ羅刹ト死骸』『マトリョシカ』『パンダヒーロー』といったボカロ曲を次々と発表。耳にこびりつく不協和音を孕んだ中毒的なメロディ、言葉遊びに満ちた歌詞、そして自ら描いた奇怪で魅力的な手描きアニメーションMVは、当時のネット空間に凄まじい衝撃を与え、瞬く間にミリオン再生を連発する伝説のボカロPとなりました。