美術史において、なぜラファエロはダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び「ルネサンスの三大巨匠」と称されるのでしょうか。その理由は、先行する2人の特異な天才性を奇跡的なバランスで統合した点にあります。
ミケランジェロとの確執|システィーナ礼拝堂をめぐるライバル関係
当時のローマにおいて、ラファエロとミケランジェロの関係は極めて緊張感に満ちたものでした。8歳年上のミケランジェロは、若くして教皇ユリウス2世の寵愛を一身に集め、社交界でもてはやされるラファエロを強烈に敵視していました。
当時、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を秘密裏に描いていた際、同郷の建築家ブラマンテの手引きでラファエロがその現場を覗き見したという逸話が残されています。ラファエロはその圧倒的な人体描写に衝撃を受け、即座に自らの『アテナイの学堂』にミケランジェロをモデルとした哲学者ヘラクレイトスの像を描き加えました。
ミケランジェロは後に書簡で「ラファエロが芸術において持っていたものは、すべて私から学んだものだ」と吐露しています。しかしラファエロは、ミケランジェロの敵意を真っ向から受け止めるのではなく、敬意を持ってその技術を吸収し、自らの調和の美学へと巧みに組み替えてみせたのです。