会見で福田首相に対峙した質問者は、地方紙・中国新聞の東京支社報道部に所属していた梶川記者でした。当時、首相官邸記者クラブ(内閣記者会)の幹事社以外の席から手を挙げ、最後の指名を受けた形でした。
当時、新聞やテレビの世論調査では福田内閣の支持率が20%台低迷を続けており、国民の間には「何を考えているのか分かりにくい」「説明不足である」という不満が充満していました。記者は国民や読者の代表として、そうした世論の疑問を率直にぶつける意図を持っていたとされています。
しかし、会見という公の場において、「国民目線から見て人事のように聞こえる」という主観的な問いかけを行ったことで、質問が政策の是非ではなく首相個人の態度や人格への批判というニュアンスを強く帯びてしまいました。結果として、記者の問いかけが福田首相の防衛本能と反発心を極限まで刺激する導火線となったのです。