1950年代の日本。焼け野原から立ち上がる国には、生産力の回復だけでなく、文化的アイデンティティの再構築が求められていた。創工社が生まれたのはまさにこの時期だ。GHQの占領政策が終わり、サンフランシスコ講和条約によって主権を回復した日本は、国際市場での競争力を急速に高める必要に迫られていた。
当時、日本製品は「安かろう悪かろう」という評価に苦しんでいた。品質は改善されつつあったが、デザイン性や美的価値では欧米製品に後れを取っていた。ここに創工社の存在意義があった。伝統工芸の美意識と近代工業技術を融合させること。それが創工社の掲げた理念だった。
設立に関わったのは、戦前から工芸運動に携わってきた職人たち、欧米でデザインを学んだ若手技術者、そして新しい日本の姿を模索していた実業家たちだった。彼らは単なる製品開発組織ではなく、日本的美学を現代化する文化運動としての性格を持っていた。