もし小倉に原爆が投下されたら?最新シミュレーションと回避の真相

もし小倉に原爆が投下されたら?最新シミュレーションと回避の真相

もし小倉に原爆が投下されたら?最新シミュレーションと回避の真相の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

1945年8月9日未明、マリアナ諸島テニアン島を飛び立ったB-29爆撃機「ボックスカー」(チャールズ・スウィーニー少佐機)は、第1目標である小倉を目指して飛行を続けました。午前9時すぎ、屋久島上空で観測機との合流を試みたものの1機が合流できず、貴重な時間を費やしたのち小倉へと向かいます。

午前9時44分、ボックスカーは小倉上空に到達しました。当時の投下作戦において、米軍司令部からは「レーダーによるブラインド投下は厳禁とし、目標を肉眼で確認する目視投下を行うこと」という絶対命令が下されていました。プルトニウム型原爆の効果測定と軍事施設の完全破壊を確実にするためです。

爆撃手のカーミット・ビーハン陸軍大尉は爆撃照準器(ノルデン照準器)を覗き込み、小倉陸軍造兵廠の照準点を必死に探しました。しかし、街全体が不気味なほどの厚い雲と黒煙に覆われており、目標を目視で捕捉することができませんでした。スウィーニー少佐は一度旋回し、進入高度を変えて2回目の爆撃進入(アプローチ)を試みましたが、やはり照準点は見えませんでした。

さらに行われた3回目のアプローチでも視界は開けず、滞空時間は約45分間に及びました。その間、日本軍の小倉高射砲陣地からの激しい対空砲火がボックスカーの高度まで炸裂し始め、さらに芦屋飛行場などから日本陸軍の戦闘機が迎撃に上がってきたとの無線報告が入ります。予備燃料タンクのポンプ故障により燃料残量に余裕がなくなっていたスウィーニー少佐は、午前10時30分、小倉への投下断念と第2目標である長崎への進路変更を決断しました。

小林 直樹
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小林 直樹

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