Q1:北里柴三郎と北里大学はどのような関係がありますか?
A1:北里柴三郎が1914年に設立した「北里研究所」がすべての源流です。その設立50周年記念事業として1962年に創設されたのが北里大学であり、北里柴三郎は大学の「学祖」として敬われています。現在も生命科学や医療分野の名門として、その精神が脈々と受け継がれています。
Q2:なぜ第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞できなかったのですか?
A2:1901年の第1回ノーベル生理学・医学賞において、北里柴三郎は共同研究者だったエミール・フォン・ベーリングとともに有力候補に挙げられていました。しかし、当時のノーベル賞選考委員会では「共同受賞ではなく単独受賞を原則とする方針」が強く働いたことや、ヨーロッパ中心主義の時代背景が影響し、ベーリングのみの受賞となりました。しかし、血清療法の基礎となる破傷風抗毒素の発見は北里の実績であり、後世の科学史でもその貢献度は極めて高く評価されています。
Q3:千円札の肖像画になった野口英世との一番の違いは何ですか?
A3:野口英世が黄熱病や梅毒などの「病原体の究明」に単身アメリカやアフリカで挑んだフィールドワーク型の研究者だったのに対し、北里柴三郎は「世界的な基礎研究」を成し遂げただけでなく、日本医師会の設立や伝染病予防法の制定など、日本の医療行政・公衆衛生制度そのものを構築したリーダーであった点が最大の違いです。