関東関根組の原点を語る際、創始者である関根賢の存在を抜きにすることはできない。敗戦直後の混乱期、茨城県土浦を拠点に頭角を現した関根は、圧倒的な統率力と腕力で瞬く間に勢力を拡大した。闇市の利権、盛り場の掌握、そして他勢力との血みどろの縄張り争い。荒廃した時代背景と共鳴するように膨張した関根組は、やがて東京進出を果たし、戦後ヤクザ史の主役に躍り出ることとなる。
関根賢が築き上げた強固な地盤と組織規律は、その後の松葉会結成の母体となり、関東一円の裏社会に強烈な刻印を押した。当時を知る古参関係者は「関根の親分の号令一つで、霞ヶ浦周辺の空気が凍りついた」と述懐する。無法の時代を生き抜いたカリスマの残影は、半世紀以上が経過した現在も、組織のアイデンティティとして色濃く息づいている。