曹丕による禅譲の報が伝わると、激しい拒絶反応を示したのが四川の地を治めていた劉備でした。漢の皇室の血を引く劉備は、曹丕の即位を「不法な簒奪」と断じ、献帝が殺害されたという誤報を受けて喪に服した後、自ら皇帝に即位しました。
劉備が建てた国家は一般に「蜀」と呼ばれますが、正式な国号はあくまで「漢」です(歴史学上は後世と区別して「蜀漢」と呼びます)。劉備が掲げたスローガンは「漢室復興」。魏を不義の賊と位置づけ、自分たちこそが正統な漢王朝の後継者であると主張したのです。
一方、江東に強固な地盤を築いていた孫権は、魏と蜀の正統性争いを冷徹に観察しつつ、229年に自ら皇帝を称して「呉」を建国。ここに、魏・蜀・呉の三輪が拮抗する「三国時代」が名実ともに幕を開けました。