ドイツの進出に対し、最も激しく反発したのが当時の覇権国イギリスでした。イギリスはアフリカ縦断とアジア支配を連結する「3C政策」を国策として推進していたためです。
両者の戦略拠点の違いを整理すると、その衝突の不可避性が明確に浮かび上がります。
イギリスにとって、植民地帝国を支える最重要地域は「大英帝国の王冠の輝く宝石」と呼ばれたインドでした。ドイツがバグダード鉄道を通じてペルシャ湾に進出することは、イギリスのインド防衛線およびスエズ運河の安全を背後から脅かす行為にほかなりませんでした。
地中海から中東、インド洋に至るシーレーンを生命線とする海洋国家イギリスと、ユーラシア大陸の内陸部を貫こうとする陸上国家ドイツの利害が中東の地で完全に激突した瞬間でした。