3B政策とは?イギリス3C政策との激突理由と第一次世界大戦の真相について知っておくべき 注意点を分かりやすい構成で解説いたします。

ドイツの進出に対し、最も激しく反発したのが当時の覇権国イギリスでした。イギリスはアフリカ縦断とアジア支配を連結する「3C政策」を国策として推進していたためです。

両者の戦略拠点の違いを整理すると、その衝突の不可避性が明確に浮かび上がります。

項目ドイツ帝国:3B政策大英帝国:3C政策主導者ヴィルヘルム2世セシル・ローズ/ジョゼフ・チェンバレン対象都市ベルリン・ビザンティウム・バグダードカイロ・ケープタウン・カルカッタ戦略の主軸大陸横断鉄道網による中東・ペルシャ湾進出海上覇権と植民地を結ぶ南北アフリカ・インド縦断地政学的狙いロシア・英勢力圏の分断と石油資源獲得「帝国の生命線」であるインド航路・スエズ運河防衛

イギリスにとって、植民地帝国を支える最重要地域は「大英帝国の王冠の輝く宝石」と呼ばれたインドでした。ドイツがバグダード鉄道を通じてペルシャ湾に進出することは、イギリスのインド防衛線およびスエズ運河の安全を背後から脅かす行為にほかなりませんでした。

地中海から中東、インド洋に至るシーレーンを生命線とする海洋国家イギリスと、ユーラシア大陸の内陸部を貫こうとする陸上国家ドイツの利害が中東の地で完全に激突した瞬間でした。