毎年のように巻き起こる世論の反発には、単なるスキャンダルにとどまらない制度設計上の構造的矛盾が存在します。その最たるものが、いわゆる出演者の高額ギャラ問題です。
欧米のテレソン(テレビマラソン募金番組)では、ハリウッドスターや世界的アーティストが無償で参加し、自ら多額の寄付を行うことが倫理規範となっています。これに対し、日本の24時間テレビは「広告料収入で番組を制作する民放のエンターテインメント」という大枠を維持したまま、その枠組みの中にチャリティを組み込む特殊な形式を採用してきました。
関係者の証言や過去の報道でも指摘されている通り、日本テレビ側は「出演タレントの拘束時間に対する正当な対価としての謝礼」と位置づけていますが、視聴者側から見れば「障害者や難病の子どもたちを無償で出演させ、過酷な挑戦をさせながら、著名人には高額なギャラが支払われ、スポンサー企業はCMを流して商業利益を得ている」という二重基準(ダブルスタンダード)に映ります。
社会学の領域で長年指摘されている「感動ポルノ(Inspiration Porn)」という批判もここから生じています。障害を持つ当事者を「頑張って生きているかわいそうな人々」としてステレオタイプ化し、健常者の涙と感動を誘う消費財として機能させているのではないかという問題提起です。この倫理的違和感を解消できないまま番組が長寿化したことが、視聴者との心理的乖離を広げ続ける根本原因となっています。