『ブルーロック』の本質は、過剰なまでの自己主張と「エゴ」のぶつかり合いにある。西垣が演じた役柄は、単に自己中心的な男として描かれたわけではない。その内側に秘めた冷徹な計算と、サッカーという競技に対する狂信的なまでの愛情が、彼の緻密な芝居によって何層もの深みを持って立ち現れた。
稽古場で彼が愚直なまでに追求したのは、声のトーンと視線の角度のコントロールだったという。時に冷ややかに見下ろし、時に欲望を剥き出しにして目を輝かせる。静から動へのスイッチの切り替えの早さは見事というほかなく、客席の視線を一瞬で奪い去る天性のカリスマ性がそこには漂っていた。