そもそも、なぜ「丙午の生まれは気性が激しい」という迷信が日本中に定着したのか。その起源は古代中国の自然哲学である陰陽五行説にまで遡ります。
十干の「丙(ひのえ)」は五行の「火」の兄(陽)を表し、十二支の「午(うま)」もまた「火」の属性(南・真昼)を持ちます。つまり、火と火が重なり合う丙午は「猛火の年」とされ、古くから火災や天災が多い不吉な巡り合わせと解釈されていました。
この中国伝来の暦論が、江戸時代に入って日本の大衆文化と結びつき、劇的な変貌を遂げます。その引き金となったのが、1683年に江戸で起きた放火事件の当事者、「八百屋お七(やおやおしち)」の伝説です。
恋人に会いたい一心で自宅に火を放ち、火刑に処されたとされる少女・お七。江戸市中で大評判となったこの事件は、井原西鶴の『好色五人女』や浄瑠璃、歌舞伎の演目として繰り返し脚色されました。その過程で「お七は丙午(1666年)生まれだった」という設定が後付けされ、「丙午生まれの女は気性が荒く、男を狂わせ、夫を食い殺す」という強烈なステレオタイプが庶民の間に浸透していったのです。
科学的・遺伝学的な見地から言えば、誕生年と個人の性格や気性に因果関係は存在しません。「丙午生まれは情熱的」「行動力がありすぎる」といった言説は、後世の創作物と易学の解釈が重なって刷り込まれた純度100%の迷信に過ぎないのが真相です。