1964年、当時の日本における結婚式は和装が9割以上を占めていた。西洋風の結婚式やウエディングドレスに対する認知度は極めて低く、ドレスを手に入れることすら困難な時代である。そんな中、パリでオートクチュールを学んだ若き日の彼女が踏み出した一歩は、周囲から「時期尚早」「成功するはずがない」と激しい反対に遭った。
しかし、彼女の視線は常に未来を見据えていた。和装の締め付けから女性を解放し、より自由で華やかな装いを提供したいという想いは、やがて日本中の花嫁たちの憧れへと昇華していく。赤坂の小さなサロンから始まった試みは、瞬く間に口コミで広がり、日本におけるブライダル産業の基礎を築き上げる原動力となったのである。