当時の日本中を熱狂の渦に巻き込んだ象徴が、大松博文監督率いる女子バレーボール日本代表でした。回転レシーブを武器に圧倒的な力を見せつけた彼女たちは東洋の魔女 バレーボール金メダルの瞬間、宿敵ソ連をストレートで破り、国民的英雄となりました。この試合の瞬間最高視聴率は66.8%(ビデオリサーチ調べ)に達し、街頭テレビや各家庭の受像機の前に日本中の視線が釘付けになりました。街には東京五輪音頭 三波春夫の歌声が響き渡り、国民的な高揚感は頂点に達しました。
しかし、その華々しい光の裏には、重い影も存在しました。男子マラソンで銅メダルを獲得した円谷幸吉 マラソン銅メダル 真相を巡る人間ドラマは、戦後日本のアスリートが背負わされた過酷な宿命を物語っています。
自衛隊体育学校所属の円谷選手は、国立競技場に入る直前まで2位を走っていたものの、トラックでイギリスのヒートリー選手に猛追され、ゴール寸前で追い抜かれて3位となりました。表彰台で銅メダルを胸にしながらも、彼は後に「国民の皆様に申し訳ない」「次のメキシコ五輪では必ず日の丸を一番上に上げる」と周囲に語り、自身を極限まで追い詰めていきました。過度な国民的期待と自衛隊という組織の威信、そして怪我との戦いの末、1968年に残された遺書とともに命を絶った悲劇は、個人の尊厳よりも国家の栄誉を優先させた昭和スポーツ界の痛烈な教訓となっています。