2010年版の映画において、稲垣吾郎が怪演した明石藩主・松平左兵衛督斉韶(まつだいら なりつぐ)。罪のない領民をなぶり殺しにし、家臣の妻を手籠めにしたうえで首を刎ねるなど、日本映画史に残る「最凶の暴君」として観客に強烈なトラウマを植え付けました。
しかし、史実に実在した松平斉韶は映画のような狂気の暴君ではありません。第8代明石藩主を務めた斉韶は、文化7年(1810年)に藩主となって以降、藩校を創設するなど文武の奨励に努めた人物です。何より、落合宿で刺客に討ち取られるどころか、藩主の座を退いた後も平穏に余生を過ごし、明治元年(1868年)に66歳の天寿を全うしています。
では、なぜ斉韶が悪名高い暴君として描かれることになったのでしょうか。そこには、第11代将軍・徳川家斉の実子である松平斉宣(なりのり)の存在が深く関係しています。
家斉は50人以上の子をもうけたことで知られ、幕府の財政を圧迫しながら全国の大名家へ強引に養子縁組を進めました。明石藩もその標的となり、斉韶は将軍の子である斉宣を養子に迎えさせられ、天保11年(1840年)に隠居を余儀なくされます。映画で描かれた「将軍の異母弟という絶対的な権力を笠に着て横暴を働く御簾中育ちの藩主」というキャラクター像は、実在の斉韶ではなく、将軍の威光を背負って藩主となった斉宣の境遇と、それにまつわる黒い噂がモデルになっているのです。