1911年(明治44年)に山口県で生まれた日野原氏は、旧制福岡高校を経て京都帝国大学医学部(現・京都大学医学部)を卒業しました。内科医としての道を歩み始めた後、1941年に聖路加国際病院に内科医頭として赴任。第二次世界大戦の戦火をくぐり抜け、戦後は米国エモリー大学への留学を通じて最先端の臨床医学と看護教育を日本へ持ち帰りました。
順風満帆に見えるキャリアの中で、人生を根底から揺るがす大事件が発生します。1970年3月、福岡での日本内科学会へ向かうために搭乗した日本航空351便が赤軍派に制圧された「よど号ハイジャック事件」です。当時58歳だった日野原氏は、人質として緊迫した機内に4日間拘束され、死の恐怖に直面しました。韓国・金浦空港での解放を経て生還を果たした瞬間、氏は強い衝撃とともに新たな決意を固めます。
「これからの命は、天から再び与えられたボーナスのようなもの。自分のためではなく、すべて他者のために使おう」。この利他の精神こそが、その後の半世紀におよぶ超人的な活動のバックボーンとなりました。私生活では妻・静子さんと固い絆で結ばれ、3人の子供をはじめとする家族の温かい支えが、激動の医療現場に身を置く日野原氏の心の拠り所となっていました。